劇団朱雀復活公演@東京覚書~繋がる舞台と客席~

11/30〜12/15、紀伊國屋サザンシアター、劇場朱雀復活公演。

今の私があるのは、どう考えても朱雀という存在に出会ってしまったせい。
ずっと渇望し続けていた景色との漸くの邂逅、体感することで見えた知らなかった景色、目の前にあるものがどれだけ愛すべきものであるかの実感。
既に東京楽が終わっていて気づけば大量に墓標が立ちカオスへの誘いが行われ共同幻想状態になっている岐阜が始まっている現状への謎の期待感、もろもろ、ほんとにもろもろ、ほんっとにもろもろ!!色々なものを感じさせられてもはや困惑なんですけどどうしてくれるんです?????な半キレ状態なので、遅ればせながら自分のために覚え書き。レポとかじゃなくただの感想文なうえテンションも文章も不安定。

まずは千秋楽、お疲れ様でした!!日々命削りながらの舞台、ほんとにお疲れ様……!!あと見に行っていたファンの方も初めて見た方もみんなお疲れ様だ。なんかものすごい舞台だったね!!!人々が日々狂っていくのが面白かったです。全員よく生きた…!最後にみんな墓に入ったけど。

これ書くためにブログを引っ張り出したのでせっかくだからなぜ自分がここにいるか振り返るけど、とりあえずわたくしはTRUMPでゆっくんさんに頭をやられたウルの守護者立候補者でおくほそを見て気が狂って杉田に行ったり円盤かき集めたりしてオレカタ見て情緒を崩し川北見て号泣してワカ見て爆泣きしたりした結果なぜか今は大五郎さんの追っかけを3年くらいしているおたくです。喧嘩屋五郎兵衛とかが好き。
岐阜の奇跡(いや来るでしょ?って感じだったけど)に感涙しつつ体調管理にめちゃくちゃ気をつけながらその先の橘劇団博多公演も楽しみにしている身です。でも四国は行かずに新宿と岐阜で師走を駆け抜けるよ!!!

公演についての覚書

【観劇日】
11/30昼夜、12/1夜、12/7昼夜、12/11昼、12/12夜、12/15昼・千秋楽(8公演)

【日替わり舞踊】
◎春よ来い1、雪月花1、天城越え2、ワダツミ2、糸1、月の舟1
◎夢芝居4、色が舞う2、恋曼荼羅2

【芝居】
「火のないところに男は立たねえ」4
「安兵衛駆け付け」3
遠州森の石松」1

結構バランスよく見れたと思うんだけど石松がなかなか見れなくてそのせいで観劇回数重なったのはある
元々2公演分しかとってなくてぷらっと行くつもりだったのになぜかこうなりました。仕方ない。

第一部 女形ショー

マイ初日は2列目ド下手。スピーカーで舞台の左端が見えないという状況だったけれどその近さだったからこそ一気に空気に飲み込まれたなあとも思う。
「劇団朱雀、復活です!」の創さんのアナウンスがとにかくもうそれだけであっ早乙女の現場きた!!!!って感じで。ちょこちょこ出演舞台は見に行っていたけれど最近なんとなく現場離れしてしまっていた身だけれど、この創さんの声だけで一気に引き戻されたしとにかくわっくわくした…!なのになぜか落ち着くという。朱雀としての公演を見るのは初めてだけどなんとなくここだけで「いつものやつ」が始まっている感を覚え、また「見たかったもの」がこれから始まるんだって突き付けられた気がした。創さん天才。

●「暗夜の心中立て
初回は幕開きの瞬間の全体像が見えなかったけれどそれでもとにかく爆音(スピーカーそばだったのでびっくりするくらい爆音だった)の椎名林檎に乗せてこの世のものと思えないくらい美しい花魁が闊歩していて秒でチケット代のもとが取れたと思った。花魁ってわりとレアというか、公演の目玉にして見せるようなもののイメージもあるからたしかに復活公演と銘打った大事な公演とはいえどもしょっぱなにこれを持ってくるの、なんて贅沢なんだろうと…!
幕が開いた瞬間、そこに何か別の世界があるようで、とにかく神秘的。寒色の透き通るような照明が使われていたのかな、全体的にきらきらとしていた気がしてそれがすごく不思議できれいだった。センターブロックで見ると特にこの幕開き全体のバランスがきれいで豪奢で、ポジショニングとかものすごく計算されてるんだろうなって…。創さんのアナウンス+光と音の演出でわくわく感MAXの状態で幕の中からこの光景が現れるんだもん…意味わかんなかった…。
肩貸しがゆっくんさんなのもぐっとくるよね、すんごい写真撮りたかった。ゆうやくんはキリっとしてるんだけど隣の桃さんと比べるとなんかぽよぽよしててかわいかったです。
あとあの背の高い下駄を履いていても八の字に円描くように歩くやつ(名前わからない)もつっかえなく美しいし、そのあとふつうにすたすた歩くから筋力すごいなと思った、千秋楽かなんかで衣紋抜きから覗く背中に男性的な筋肉の影が見えて改めてあ、このひと男性なんだ、って思ったんだけどそうは思っても目の前にいるの概念としては女性で、女形ってものは見慣れているはずなのに改めて不思議な感覚だった。なんか歌麿、どことなく少女みがあったし…特にいつだか忘れたけどすごいかわいい顔してる日があってあどけなくて好みでした。

●「歌麿
太一さんの女形!ってイメージある曲。勝手に。女形の重たい衣装であそこまで動いてひねって大胆にしなをつくって…って、単純に見ていても全く飽きが来ない。
一部は全体的に、静→動→静→動な感じの女形が見られて楽しい。
掲げたお面を見ながらうっすら笑う回と笑わない回があったけど、笑うと情念、笑わないと無垢さ、を感じるのでまたそれも面白かった。
暗夜の花魁はどこかあどけないけれど歌麿で一気に情念の化け物のようになるの、ある種物語性があってこわいっすね…。

●「夢芝居」「色が舞う」「恋曼荼羅
大衆のゆっくんさんが見たくて、個人あるのかな~?ないのかな~?とかふわふわっと思ってた私の目の前に現れたのは!!!!!!役者姿の!!!!!!!!ゆっくんさん!!!!!!!!!!!!!!
お役者姿がめちょめちょに好きなうえ夢芝居すごく好きな曲なので、女性陣となんか色っぽく踊る朱雀の狂犬改め朱雀の伊達男(なにそれ!!!)たまらなかった。色が舞うと夢芝居はほぼおんなじかんじだったね?
曼荼羅に関してはレポでなんとなくやばそうというのだけ知っていて最後の最後に見られた曲。見られないまま終わるかと思っていたけど、漸く見れたそれはあまりにも個人的なツボにクリティカルヒットだったのでそうならなくてよかった……。
女形化粧に立ち役役者姿の太一さん、超日本の宝…………。男女という性別の境目があやふやになるような感覚のビジュアルで少し笑うようにしながら艶っぽく舞う姿はそりゃ人を狂わせるわと思いましたよ 例の簪芸もなんでそんなことする???????って感じだし、扇の骨が濃いめの朱色なのも粋で素敵だし、最後ゆっくんさんと並んだあとばっと広がる傘に顔が隠れるのもなんか色気があって最高でしたハイ

●「かもめが跳んだ日」「曼殊沙華」
姐さん!!!!!!!!踊りながら3人の子供を産み育てたとは思えないくらい美しくて奈々さん大好き。紫と白のお着物もお似合いで素敵だった…。
かもめたちは初めて見たときは衝撃で奈々さんが踊っているのに…おまえたちなにを…という感じだったけど最終的には愛着しかなくなった。かわいい。
スンッとした桃さんが人気を博していたwし私も好きだったけど、個人的ににこにこにこにこ踊ってるゆうやくんがとにかくかわいくて好きだった。
ざちょはいつ見てもかっこよくってほんと現役…もっといろんな曲見たかったなあという気持ちもないではないけど、重みのある扇子捌きや色気のある眼光に毎度うっとりだった…かっこよい…。
奈々さんもざちょもすらっとした長身で、そこから生まれた3人もそりゃその継いだスタイルになるよなあって改めて思ってしまった。

●太一さん女形個人
「春よ来い」「雪月花」「天城越え」「ワダツミの木」「糸」「月の舟」
しっとりめの選曲が多くて太一さんの女形に聖性を与えるような曲のパートだった印象。
どの曲も素晴らしくて、かつ毎回太一さんの顔というか表情というか、舞台上でのその人としての在り方が異なっていて、毎回違う人を見ているようだった。
そうそう、誰なのこの人、って何度も思ったのだった。千秋楽のワダツミはよく笑うけれどどこか人離れしていて今まで映像とかで見ていた太一さんに近かったんだけど、ほかの時の太一さんは全然わたしの中にあった像と違っていて…。なんというか、こんなに柔らかな顔をして、客席を包み込むような舞踊をする人だと思っていなかった。とにかく美しくて人を惹きつけるけれど、決して触れてはいけない女神、そんな印象を持ち続けていたので、見る人の心のやわらかな部分に溶け込み、包むような色合いを彼の女形に感じ取ったのは個人的にものすごく革命であり発見だった。
個人的に雪月花が好きだったな~曲の中の登場人物に対して俯瞰的な立場にいると思わせる表現でなくて、歌詞の中に入り込んで歌が伝える景色の一部として、淡い色をまとった清廉で無垢な少女としてそこに在ったように見えて、この曲の太一さん思い出そうとするとすごくフィルターがかかる。淡い桃色、白。舞台で見えている色は全然違う色なんだけど、すごく不思議とそう思えるから、多分すうっと心に入ってきたんだろなと思ってる。
でも一番誰なの?ってなったのは糸でした。悲鳴があがるくらいみんな待ってたんだなって舞踊は、私の太一さん像をがつんと壊してくる類のものだったよ。

●「夜桜お七
定番曲最高に盛り上がるね!!お七姐さんは貫禄たっぷりで最高だった。一曲前の人とほとんど衣装変わってないのに人間が変わってしまうのほんと鮮やかすぎるマジックだよ 天城越えに至ってはひらひらがないので舞台上でそのままお七姐さんに変化するし…。
情感たっぷりの表現がたまらなくて、「さよならあんた」の悲しんでいるような寂しんでいるようなでもそれもどうでもいいような、酸いも甘いも味わい尽くし成熟した女のめちゃくちゃエロ………………妖艶な表情をしていて、眉の下がり具合唇の歪み具合瞳の潤み具合、どれとっても最高だった…抱いて…。
一部ラストの曲だけど、ド定番持ってくることで改めて始まった!って感じがして良い構成だった。弾みがついてテンション上がりまくりで二部に行けるの、とっても楽しかった。

第二部 芝居

FAINAL川北見て号泣してなかったら本気で大衆演劇見ようと思わなかったと思うので、朱雀の芝居を観るの超楽しみにしてた。3本とも見れてマジよかったです。長くなるので特に印象的だったところのみ。気が向いたら別で書く。

「火のないところに男は立たねえ」

他2演目とは異なり大衆演劇の王道芝居ではなく、大衆の芝居をベースにおいしいとこどりした演目。正直めっちゃ面白かった。笑
大衆あるある的な部分をメタっぽく太一さんがつっこみ入れていくのが、なかなか初見だと入り込みにくい大衆独特の文化を面白おかしく初めてのひとたちにも享受させていて、かつ大衆ファン的にもおもしろいしで、なんか…行き届いていた。サザンの劇場左右にある上階段?や通路もうまく使って劇場全体を舞台空間にした魅せ方をしていて楽しく見られた。ちょっとうしろめの席で見たほうがおとくだよね。梯子を使った大立ち回りなんかも迫力満点で、エンタメとして単純に盛り上がれるし芝居の世界が目の前で繰り広げられる面白みなんかも味わわせてくれて、いやほんと何度でも見たい…。

ここが思案の次郎吉だ~とかそこから先は江戸の闇だまり~とか、太一さん次郎吉の台詞がいちいちかっこよかった。気障でかっこいい台詞、ちょっとかわいさのにじむおふざけ、豪快かつスマートな立ち回り、どことってもおいしいさおとめたいちが見られるお得感満載のお芝居だった感。

ゆっくんさんは忠助。弟分役、こういうの当てられるの朱雀のゆっくんさんなんだなあって感じで個人的には新鮮だったかな。
千秋楽は特にノリにノッてて、最後の木村さんとの立ち回り前のあの高台(?)に二人で座って出てくるところのにやにや顔とか最高だった…!
大衆独特の台詞回しも気持ちがいいしなんかゆっくんさんの声や喋りに似つかわしく思うので、いっぱい聞けてよかったです。
コンビの木村さんはわたし多分初見なんだけどこの芝居のせいでやけに好きになってしまった。シュウチュウッ!!!

ゆうやくんのネズミ捕り売りのぼっちゃんは底なしにかわいかったし、最初にゆうやくんと太一さんのメタネタ入れてくるの、この芝居(および公演)の楽しみ方をきちんと説明してくれている感じで親切設計だったしかわいかったね。ネズミ捕り売りを客席に売りつける時にいやだよね~はなしかけられて…とかいろいろしゃべったりしてたのもかわいかったし買いますって言ったお客さんにほんとは売れないからって芝居の最後で自分のブロマイド携えて持ってきてくれるの(最初は太一さんのブロマだったよね??)もいい子でかわいかった。もうすごくかわいかった。千秋楽は出てきて早々「ゆうや!」「ゆうやくんがんばって!」って声援飛んでたのも面白かった…w

トミーのおさえさんは全部おもろかったけど千秋楽で太一さんに「あんた家でひとりでしょ」とかなんとか最後の最後にぶっこんできたのが最高でした。おさえさんの面白さの安定感もこのお芝居を支えていたと思うよ…知らんけど…。

あと最後忠治親分ネタ入ってくるのが大衆ファン的においしかったです。国定忠治を知らなかったり大衆ではなじみ深いってことを知らない層にとってもこうやって名前が出て、「これからの未来」としてその姿がぼんやりと描かれることで大衆の世界への誘いのようになるのかなあと思ったりもした。
初日これで、私の初日もこれだったんだけど、千秋楽も絶対これだろうなと思ってたら当たりだったので、個人的にこのお芝居は今回の復活公演を象徴する演目なんだと思ってる。大衆をベースに(大江戸喧嘩纏が元ネタ?)、太一さんたちが外部で手に入れた力を添えて(かずきさん脚本)、劇団朱雀が上演する、新しい作品、という意味で。

「安兵衛駆け付け」

決闘!高田馬場大好き!!!!!!THE大衆演劇芝居。王道の高田馬場ほぼそのまんまで、サザンって場所だけど大衆の劇場で見てるみたいな気分さえあった。ほんと楽しかった…!
周囲の期待を一身に背負わされ走る安兵衛、しかしその周りには安兵衛を心から慕いしょうがないなぁとか言いながらも自分たちの意志でついてくる強い人たちがいて、こんだけ想ってんだからお前も想えー!走れー!とかわめく仲間なのか敵なのかもよくわからんやつがいて、なんとなしに安兵衛に太一さんを重ね見るふしがあるよね。でもその全体の関係性がすごくやさしくあたたかくて、好きなんだよなあ…。

高田馬場に走っていくときの演出も好き。このあたり、客席も手拍子で一体になって一緒に高田馬場を目指して走るような感覚になって良い。これもまた劇団とお客さんの関係性って感じがある。
みどりのマ〇バオーが子供の頃好きでアニメよく見てたので無駄にテンションあがったし瓦版久保田が最高だった。名前そのままか。笑

個人的にゆーけんがめちゃ好きだった。超うるさい。超々うるさい。それがほんと面白くてかわいくて…。最初に出てきて奇妙な動きをしたり情緒不安定に安兵衛にギャンギャン絡んだり、客席笑わせポジションなのすごく楽しかったな…!
ゆうやくんもたくさんしゃべる、誰よりも安兵衛が好きで誰よりも安兵衛に熱い言葉をかける役で、なんだかじんわりきた。
あとすがくん見れたのうれしかった!!!笑 何も知らされないまま舞台立たされるのちょうかわいそうだけどちょうおもしろかったです…。

遠州森の石松

これ見たくて回数重ねてた演目。大衆ファンはみんな石松が好きなんだッ!!!

石松ってお人よしで親分大好きでお馬鹿さんで底抜けに明るくてどこかあどけなくて…ってイメージで、これもまた私の中の太一さんにいまいち無かったイメージ。なので、太一さんの石松ってどんな感じになるんだろう?って純粋に興味があった。今までちゃんと芝居で見た石松って大五郎さんと桃さんくらいだったし。二人とも影がない陽系の人たちだから…。

でそんな感じで多少はらはら(自分に太一さんの石松が合うのかとか)しながら見たんだけど、いや、とにかく太一さんの石松、かわいくって愛おしかった…!
親分のことが好きなところ、お馬鹿なところ、明るいところ、あどけなさのあるところ、全部が全部「石松」のイメージをしっかりかたどっていて、かつ太一さんのフィジカル的な強さやメンタル的な芯の強さが乗っかって、すごく魅力的な石松がそこにいた。立ち回りが当然のごとく最高なので、遊びで喧嘩しているときの飄々として余裕綽々な様子がまさしく石さんだし、かつ遊びの喧嘩と命かけた本気の喧嘩と命からがら必死の喧嘩どれも全然違ってて表情動き太刀筋で全部ありありとわかるのが、いや今更かもなんだけど、すごいなと…。笑顔にも影がなくぱああっと明るくてかわいらしい。あにぃに親分からもらった刀褒められてだろー!!!ってぱああああって笑う石さんとか世界一守りたいこの笑顔。私が次郎長なら一生愛すし一生守り抜くし清水港から出さない。かわいい子でも旅はさせない。でもそれだけ魅力的で見る者の心をくすぐるからこそ、結末があまりにもむごく感じてしまうんだけど。

この芝居、脚本演出太一さんで、元からやってたのかどうかは知らないんだけど(ざちょが口上で今回やってるやつの初演の~って言ってたから朱雀で元々やってたやつはこのバージョンではないのかな?)、劇団BRATSで桃さん主演で上演されたときに2回ほど見に行った内容と同じもの。BRATS石松が心の底から好きだったの、この石松がすごく「石松という物語(語られる物語)」という構図を意識したものだったからなのだけど、今回、語り役が銀之丞さんだったことでまた深みを増していた印象だった。創さんの語りももちろんすごく好きで人間味があってよかったんだけど、銀之丞さんは人のよさがにじみながらもどこか冷静さがあって、怖さも感じたのが別のカラーでよかったなと。

でもそうやって冷静な風の中で突然、「お前が馬鹿でお人好しだから」的な台詞で語り役の個人的な感情がぽろりとこぼれたような気がして。
石松を知ってる人って、たぶん皆石さんが好き。知らなかった人だって、今日ここで太一さんが演じ、舞台の上ではつらつと生きている石さんを見たら絶対誰もが好きになる。そんな皆に愛されている石さんなのに、皆石さんが好きなのに、この先の末路を、語り役や「石松」のこの話を知っている人たちが知っているはずの未来を、それでも変えることはできない。石松が馬鹿でお人好しだから。そうやって生きる人だから。そういう、お話だから。未来を知っているからこそ出るこの台詞、感情に、見る側としては感情移入せざるを得ないんだよ。
この役に感情を持たせるのはずるいし、この役こそ芝居を見る側・お話を享受する側の我々の感情を代弁してくれる役なのだと思った。見る側の自分たちの感情を俯瞰して見せつけられるの、めちゃ面白いよね。でもしんどいからやめてほしいけどやめなくていいです。石さんはこうして語られて、受け手に享受され、そしてまた別のところで語り継がれていくんだよ。
BRATSの時は桃さんのポジティブパワーと演出でハピエンぽく、ちょっとこっちも救われるような終わり方したけど、太一さんのは最後同じように口上するのにぼろぼろで命振り絞った最期の…いや、もう死んでしまった石さんの魂の叫びを最後に聞かされているようで、何もできなかったことが苦しくなるくらい(何もする必要ないしできるわけないんだけど)、重たいものを残していった。こんなんで三部盛り上がれね~~~~~~よ無茶言うな!!!!!!!!!(頑張って盛り上がりました)なんで石松やった直後に普通に手売りできるんや…何人かいるの????

言い損ねたけど奈々さんが啖呵切る場面、杉田で見た三浦屋孫次郎思い出したんだけど本当に最高にかっこいいよね…美しく、気高く、力強く、凛々しく…そして色々な角度から女っぷりが良い、奈々さんたまらん好きです。
梅竹はカオスで最高だったのでもっとゆっトミーのこういうの見たいです。

第三部 舞踊ショー

5年ぶりだぜェ~~~~!!!で始まるのずるくないかーーー!!!!これから祭りが始まるんだ…!!!ってめちゃめちゃわくわくしてしまったイェ~~~~~~~~~!!!!!!!!!
ここ、「我ら騒ぎ屋の準備はできてますがお客様の準備はよろしいですか!」からのちゃんと盛り上がってるのを確認してからwの「揃いし仲間が揃ったところで…」で皆さんほんとにまたしたな!ってなんだその神がかりの流れは 泣くじゃん って思うじゃん?いやたしかに泣くんだけど楽しすぎて泣くの忘れちゃうんだよね~~~~~~いや泣くんだけど!!!
5年ずっと待っていた人たち、ここで「待ってたよーーーー!!!」って叫べるのずっと待ってたんだろうなって思って、周りからその叫びが聞こえてくるのになんだか胸いっぱいになって泣いちゃったよ…。
私は私で生で見たこと無いけどずっと見たかったこの知ってるけど知らない世界を待っていたので、一緒になって待ってたよって言えるのがなんかすごくありがたくてうれしかった。ド新規というわけでもないけど解散後の後追いの新規の身分をわりと後ろめたく(?)思っていたので、なんかこういう場面で客席の、「今」目の前にいる朱雀を見ている皆として一体になることを許してもらえた気がしてすごく幸せだった。
三部舞踊ショー、普段絶対に舞台観てるときに声をあげないペンラもふらない(まぶしいから…)私に声を出させ踊らせたのでそれだけですごいなって思っています。

●「MATA(C)TANA」
太一さんのビジュアルが死ぬほど好き…ポニテが大好き勢 みんなでわいわいわああっと踊るけどしっかり群としてきれいな構成になっていて、各々がきっちりばっちり踊ってかつ楽しそうにしているのでとにかく見ていて楽しい。群舞が好きで橘劇団とか劇団暁とかが好きなんだけど、やっぱり劇団朱雀も群舞にも秀でているんだなと痛感した。DVDとかで見ていてもきれいだけど、実際に舞台の熱を感じながら、照明や音、動き回る人を目の前で見ると群で舞うこ強さを体感できるね…。
客席のてすりに乗って一列渡ったり、お客さんにマイク向けて「まってたよー!」って言わせたり(初めてっぽいお客さんに強制まってたよさせてたの鬼すぎて笑った)な太一さんが見ていて楽しかった…あとほんとみんなにこにこしているのが最高にかわいい。にこにこゆっくんかわいい。えっ……かわいい………
客席で扇子振り回してるお客さんとかもいてすごく楽しかった。圧倒的参加型群舞

●「お祭り忍者」
おっさんすじゃに~ず!!おっさんと言いつつバチバチに踊れるからすごいよね。命燃やしてる~~~!!!
木村の了くんはセンターで踊るソロのところの動きがすごい好きだった。あと下手の人らとなんか言い合ってるのとかかわいかった…。機会があれば彼が出ている舞台を見たい。
ペンライト振ってる人もいたりとここも引き続き自由で楽しかったし、最初の頃ここでみんな座り始めてたのが最後の方まったく座ろうという気配が消え去ったのが面白かったです。というか誰も立てとか座れとか言ってないのに勝手に立ったり座ったりする訓練された客席そのものが楽しかったね…w

●「東京ドンピカ」~「狂わせたいの
ここまでの流れから突然のこれ、完全に初めてだったら面食らいすぎて固まってたと思う。いやあ幅広いジャンルのエンタメが楽しめていいなあ(棒)
太一さんとトミーの流れるような濃厚な絡み合いが面白すぎて、太一さんも自由なんだけど客席へのファンサ精神旺盛すぎの自由なトミーが楽しすぎて、毎回げらげら笑っていた…。狂わせたいのは個人的にすっとんきょうな見た目でWピース舌べろな太一さんが好きだった。さりげにかわいい…そして振付が余すところなくかわいくてアヤノ神…という感じだった。
一緒におててふりふりするのも楽しかったし初めてきたぜ!って感じのお客さんが戸惑いながらもノッてくるのがまた楽しかった。笑 お手本:まなちゃん。
狂わせたいのの途中途中で挟まるトミ子の部屋は宝塚入団試験受験生の太一さんじゅうななさいとゆっくんの方が野菜食べるから好きだったりゆっくんの方がやさしいし誕生日にLINEくれるだけのたいちにいちゃんと違ってごはん食べさせてくれるゆっくんの方が好きなあゆちゃんが優勝しました。最高だぜトミ子…

●「あゝ無情」
ゆっくんゆっくんどこ行くの~!!ド派手なもふもふを首から下げて現れるなんかチャラいゆっくんさんが強い群舞。ゆっくんセンターあゆみアヤノシンメの3人のダンス気が狂うかと思った…。
ゆっくんさんの扇子回しが毎回テンション違っていたけど、ノッてるときのスピードとかひねりとかたまらん好きでチャラい見た目と超絶技巧の謎のマリアージュに酔いしれました。セクシー優勝
ずっと無で前を見据えにこりともしないゆっくん盛り上げ隊の創さんとゆうやくんはただただ飲み会のようなテンションで面白かった。好き。

●「歳々年々」
太一さんが大きな布をまとって一人で舞台を使って舞うやつ。日本舞踊のようでもお能のようでも神楽のようでもある型や受け取るイメージがとても美しかった。人ってこんなに布を自由自在に美しく扱えるものなんだね。
ここから光明までで朱雀の復活までに至る表現として捉えている人を多く見かけたけれど私もやっぱりそう思う。一人の太一さんが大きく羽を広げ、弟を共に舞台に乗せ、上がる幕からは一緒に汗を流し舞台の上で生きる仲間が光の中から現れる。劇団朱雀の復活ってこういう物語ですよ、ってこちらに投げかけてくるような気がして。復活前から見ているお客さん、またその後追いでもこれまでを知っている人間からしたら何度となく夢想した物語で。今初めて朱雀に触れる人間にとってはこの舞台についての明瞭な、体感させられる解説であって。今、そうして客席に在る私たちの眼前にある舞台が辿ってきた物語をそこに見せられている。これ、すごく不思議なことだとも思うんだよ。それはあとで書く。
12/11昼、太一さんが纏う布の裾がステージ端のスピーカーか何かに引っかかってしまったときすごく焦ったのだけど、それを最前列のお客さんたちが頑張って外して事なきを得たのも個人的に胸に刺さった光景だった。ここの太一さん、人をころ…射貫くような眼をしていて、荘厳な雰囲気からも人が触れてはいけないものに思えるんだけど、そんなところに訪れたピンチに対してお客さんが触れ、助ける。なんかねー、この、神様みたいな舞台人と客席の邂逅と言うのか、この人も、この人がここでこれから作る世界も客席の、ただの人たちの力を添えられてつくりあげられているのかなと思って、それがとても愛おしくて、まぶしいものに思えて。うまく言えないんだけど…。

●「Fire bird」
兄弟殺陣。吠えるのずるいかっこいいよ~~……
12/1夜と12/15千秋楽の仕上がりが好きだった個人的に。速さだけじゃなくて前半から後半にかけての緩急とか二人のバランスが必要で、単純に毎回すんごい殺陣やってるんだけど仕上がりが異なっていてとにかく見るのも難しいのが逆に楽しかった。基本的には目が追い付かない。太一さんが死にかけに見える時もあるもののやっぱり太一さん優勢で押せ押せの中で食らいついて時に上に立つと見える瞬間がある弟の必至の対抗を固唾を飲んで見守っていた。ゆうきがんばれ超がんばれ負けるな…という目でゆっくんさんを見るのもちょっと新鮮だった。「弟」というカテゴライズをされきってそれを甘んじて受け入れ積極的にそう在る彼を見るのは初めてに近く、外部舞台で一人の俳優として在る早乙女友貴の芝居に痺れて惚れた人間としては非常に新鮮な見方であったよ。早乙女兄弟という存在の尊さ、それを目の前で見ることはとても望んでいたことでありそれもまたものすごく楽しくたまらないものではあるけれど、ゆっくんファン(もどき)としてはどこか懐疑的な部分もあり、そういう複雑な感情を抱えながらもいろいろ消化してこの公演を楽しめたのはまた収穫でもあった かな?

●「光明」
ドセンで見ると思い切り泣く。幕が上がって劇団を支える人たちが現れる演出、劇団のパワーを浴びせられているようで、ここに我々がいるんだ!という強い主張をぶつけれられているようで、心が震えた。朱雀の復活、そして、ここから新しい何かが「はじまる」んだよ、そんなメッセージのあるラスト群舞。
細かいところ全然覚えてないの!正直!!すごくきれいできらきらしていて、舞台全体に力があふれていて、それを受け止めるだけで精一杯だった。兄弟妹の3人で真ん中で踊ってるのずるかったね…。

●アンコール「shake hip!」
千秋楽アンコールその①。正直ここで止まっていたらよかったのかもしれない
こっちも正直細かいところ全然覚えてない。かわいすぎて、かわいすぎて、かわいすぎて………!!!!!これも一緒に踊れて楽しかった。もうそのくらいしか覚えてない

●アンコール「Bad communication」
想定外の完全なる天災みたいなものだったこれ 怯えた
右手に刀左手に槍、口にとじた扇子加えて照明背負って逆光で登場、刀回してうしろにぽい、槍回してうしろにぽい、客席に降りてきて3列目のど真ん中で扇子ビュン回してうしろにぽーいして周りのお客さんにめちゃくちゃ汗飛び散らせて下手通路に降りてきて6列目あたりでなんかして(覚えてない)舞台戻ってアクロ、後ろに行って水分補給かと思いきや上方に口から霧吹きしてばたん倒れて終了、わーって出てくるゆっくんさん、とみんな。
なんか…なんかねえ…なん…わかんない こわかった ころされると思ったし実際しんだと思う
まさかバッコミ見られると思わなくて、これがあの…という感じなんだけどそんなん思う余裕もなくて、ちょっと…なに…わかんない…わかんないわ こわかったです
体力ぎりっぎりでちょっと限界超えるくらいまで追い詰めながらのパフォーマンス、もう人の領域を超えているんじゃないかと思うか身体と精神の使い方。人っていうか、ただのさおとめたいちって生き物でしたよあれは わかんないけど なんかもうわかんないこれ いつかわかりたい でも怯えたし怖かったけどめちゃめちゃ気持ちよかったのだけわかった(?)
最後にこんなトンデモ見せていただいてありがとうございました。すみませんでした。

千秋楽に入れてもらってアンコール見れてバッコミを見た世界線に入って思い残すことはないんだけど、ただ、ゆうやくんのrap聴きたかったなってのは思っている…だって好きなんだもん…聞けなかったんだもん…!岐阜でリベンジ!!

一部二部三部盛りだくさんでほんと楽しくて、いろんなジャンルをかき集めてそれを全部高いレベルで見せつけて、美しくて、荘厳で、楽しくておかしくて、一緒に盛り上がって時に手を握り締めるようにして舞台に集中して、エンタメ全部のせ、って言うか、ほんととにかく舞台ってジャンルそのものが持つ魅力をふんだんに詰め込みつつ、朱雀ファン、朱雀に関わる人たちを通して関心を持った人たち、またなんとなく気になって見に来た人たち、大衆演劇ファン、舞台ファン、色々な立場の観客にしっかりと刺さるよう、個々にターゲティングされたものを集合させて広く多くの人に突き刺さるような公演になっていた、ような。
客席が求めるもの、をすごく的確に捉え、正しく表現しているのかなって、ファンも狂喜乱舞してるし初めての人たちも魅せられて当日券マジで全然取りにくい感じになってた状況を思い感じた。

太一さんのつくるものについて

今回復活公演を見て改めて太一さんのつくる舞台って不思議だなと思ったので、勝手に感じたことを書いておく。Twitterで書いてたことも置いとく。

幕という媒介でつながる客席と舞台

舞台はお客さんがいるからできる、ということについて。
私の中で太一さんって、人、特に自分を役者という商品として扱う人間が好きではなく、お客のことも死んだ魚を見るような目で見る節のあった人間というイメージがあった。客のことが好きじゃない。関心もない。触れたくない。舞台が、好きじゃない。なんかね、そんなイメージ持ってたの。いつのイメージなんだって感じなんだけど。大衆の太一さん見たことなかったからなのかもしれないけど。
それが拭いきれないまま今回の公演を見て、ここまで「AND YOU!」的な、あなた方客席もこの舞台をつくる存在の一つです!的な舞台を体感させられて、本気であんたは誰なんだよ、と思った。人が嫌いなイメージを持っていた人がこれだけ客席を楽しませて、客席を引き込んで一緒に作り上げる舞台をするって、普通思わない。というかそもそもお客さんに復活を約束していたとかそういうのの時点で多分結構謎だった。そのイメージは完全に覆ったわけだけど、ただその太一さんの作る「AND YOU」の舞台って、ただ一体になる、客席も舞台の一部、役者も客席も垣根がない、ということではないように思っていて。
ここでのそれって、客席と舞台が一体になることで太一さんのつくる舞台がそこに完成するということであって、私たち観客と舞台上の彼らの間には絶対的な壁がある。その壁は媒介としてのものなので壁というには少し違うかもしれないけれど、それが太一さんが公演の最後、閉めていく幕なのかなと思った。私たちと彼らを分断するのも、繋ぐのも同じ幕。舞台と客席という区切りがあるけれど、その区切りがあることことが私たちの世界と舞台の上に存在する世界を繋いでくれる。その媒介を介した上で一つになる。上手く言えないんだけど、なんかそう思うんだよ…。いや当たり前のことではあるんだけれど、太一さんの舞台にはそれを強く感じる。
TLかなんかで見かけて、お話ししてくださったフォロワーさんもいた太一さんが話されていたっていうFCロゴのイメージになった定式幕を「僕とお客さんの目の前にあるもの」のように表現していたことについて、劇団公演を体感してこの話を思い出したというか、合点がいったというかなのだった。我々が早乙女太一ないし劇団朱雀という舞台上の存在に出会うために必要なもの、かつ、彼らが舞台の上に存在するために不可欠なものがそれなのかなと。お客さんがいて、幕があって、それを介し見られる、受け取られる、という作業を経てこそ舞台上にその存在を屹立できる。いやほんとうまく言えないしわからんですけど、そういう風に思う。
そしてそういう捉え方をしているからこそ、朱雀ってものそのものを舞台で表現してくれることに繋がるのかなとも思っている。

こういうの私すっごく好きだったんだよね、どれだけ近くの席で見ようが感情移入しようが、舞台とこちらには目に見えない絶対的な壁がある感覚、今私が座っている客席と舞台の上の世界は同じところにあって繋がっているけれど地続きじゃない。でもその壁こそが舞台と我々を交わらせるっていう、ものすごく不思議だけれど甘美な感覚。これを多分愛しているんだなという部分がある。

舞台の上に自分たちを表現すること

朱雀そのものを舞台で表現する、ということだけど、今回の公演中日々検索かける中でコスパとかガチャってワードを見て、舞台見るのも消費行為なんだなって改めて思っていたりしたんだけど(当たり前だけどね)、思うに特に役者のファンってそうして舞台を通して人の人生か何かを消費している面もあるんだよなとも考えることもあるなと思い当たって、まあなんとも言えない気持ちなりもするんだが。
このことと兄弟の概念とかのことを考えていて、やっぱり個人的に、総合的にものをつくる存在としての太一さんが好きな気がするのって、この人が自分たちのことをお客さん(消費者)に向けて「どう見せるべきか」という意識をしっかりと持ち演出をつくり役者を配置して、その上で自分自身を舞台上に「それ」として在るところなんだろうかなと考えたりもした。
朱雀全体に関しても、川北見た時と百両首触りだけ見た(※FINALのドキュメンタリー)時にまじでこのひと頭おかしいんじゃないの…って思ったんだもん、こんなおたくがしんどがるためにあるような配役を自分が立つ舞台で自分たちの劇団で自発的にやっちゃっておたくドスドス刺してるんだもん。
復活公演のラストにかけて見ていると朱雀復活とはじまりを思わされるのもただの観客の思い込みとか執着から来る幻覚じゃなくて、「そう思わせるように」意図的に作られてるよなって感じるじゃん、ようは自分たちを「物語として」舞台の上に表現してる、って図じゃん。
普通に舞台していてこの人たちはこういう関係性、この座組は、この演出家は、って読み取りつつ観客の勝手な主観で彼らに物語を付与して消費するのってわたしはあるあるだと思ってるし自分で多分やってるけど、でも太一さんの舞台は明確に自分たちをあえて物語化して見せてくる。意図してるのか知らないけど。
「朱雀」って物語、太一さんという人・人生、さおとめきょうだいって概念、を向こうから提供してくるじゃん、消費させてくるじゃん、それがなんか…すげ〜〜〜……………っておもう………おもいながら過ごしてる。
これができるのがおそらく、幕、という媒介を意識しているからなのではないかなと思っていて。幕があることで、舞台の上に「自分」「自分たち」というものを客観的に・俯瞰して捉えたものを表現できる。なんかそんなイメージを持った。だから私たちの欲しいもの、観客に与えるべきものを的確に捉え、自己満足の自分語りではない自分たちの物語の表現を見せつけることができるのではないかと思っている。思ったりしてる。わかんない。わかんないけど!!ほんとわけわかんないなと思ってる、正直。

でも、とにかくそういうの置いといて、ただただ楽しく全力でお客さん楽しませる舞台している彼らが本当にただまぶしいというのが一番だけど。みんな楽しそうに板の上にいるんだもん!!見ててこんなに気持ちの良いことない。舞台の上にパワーしかない。そりゃ仕事もがんばれる。私だってやりゃできるんだ(?)

劇団朱雀について、5年を経た復活公演を見て

今回の公演で見た、劇団って集団を引っ張り支え支えられ誰よりも命燃やし尽くしてる太一さんって多分わたしの一番見たかった太一さんなんだけど、加えてどこ見ても全員が全力全身全霊で舞台やって楽しんでて座長を支え支えられて一瞬一瞬に劇団の群としての力を感じるのが本当に気持ちよくて胸が一杯になるし、改めて5年という時間を経て、色んなところでそれぞれ頑張ってた面々が集まって、以前と変わらない団結力で、以前よりまた一皮むけた舞台見せてくれているんだろうなというのがほんと凄いなと思うよ。待ってた方々、本当によかったね、この人を信じてよかったねって、心から思う。
5年って短いけど長いから。一度バラバラになった人たちがもう一度集まって何かをつくりあげるのに、5年の月日ってすごく大きい。だからまずメンバーが集まったことを美しいと思うし、お客さんが待っていて、あの熱量で迎えたということを美しいと思う。この5年という中で、外にほっぽり出されてわちゃわちゃしていたゆっくんさんに出会ったことで私はここにいて、それは太一さんの思惑の一つであって、その中に自分がいて、他の色んな立場のお客さんと悲喜こもごもを共にしている。奇跡みたいな体験をした。幸せだった。こういうものが世の中にあるんだというのをなんか急に…思い…感動しました……。

そして今回、この公演がこの箱で行われて、集客も大成功して、色々な人がこの劇団に触れて、勝手に思ったこと。
大衆見たことなかった頃の感覚は全然覚えてないけれど、多分そんな良いイメージではなく、特に芝居に関しては二流品てイメージ持ってたと思うんだけど、それをひっくり返したのが劇団朱雀FINALの川北長次(遊侠三代)。それを次に繋げてくれたのが橘劇団の忠治追われ旅。だと思っている。川北は深夜にWOWOWで見た。忠治は何の気なしで行った師走の立川で見た。そこで、一瞬の間に私の世界は変わった。
おそらく、今回の公演を見て一瞬で世界が変わった人もいると思う。私だって変わったように感じるし。
太一さん、朱雀がつくる世界に触れる人がこれだけ増えたことで、大衆演劇、というものの一端に触れて、もしかして面白い世界なのかもしれない、と思う人がきっと、確実に増えたと思う。広く、この世界の味を、浅くとも伝わった公演だったと思う。
太一さんの目的とか考えてることなんてよくわかんないけど、実際ちょっと毛色は違うけれど「大衆演劇」を銘打ち、そのエッセンスを上手く生かしたビギナーも入り込みやすい舞台を見せ間口を広げるんだったら、私が、超私個人が、大衆演劇ってものに触れてものすごく魅力を感じているから、この公演がその世界へ人が流入したり、関心を持つきっかけの一つになっていたらいいなと思っている。早乙女友貴を見て、芝居に惚れて、この人を育てた世界を知りたいと思って飛び込んだ世界で、私はいろんなものを手に入れてる。推しは新しい世界を見せてくれる存在だと思っている。なんか、この公演が色んな人にとってそういうものであり、その行先に大衆演劇って、この舞台をつくった人たちを産んだ世界があったらいいなと思っている。

謎の締めをしているけど、とりあえずまとめ!とりあえず!わたしの本番は!!!岐阜だ!!!!まってろ!!!!!負けねえからな!!!!!!!!!